GONOSEN-II

文学、歴史、時事問題。 とりあえず、私はこう思う。

移民問題と関東大震災 (27)

前回、移民問題の話が出たが、それは、世界の舞台で活躍し始めた大日本帝国を、アメリカの国民が案外好意に思っていたにもかかわらず、アメリカ国内で起きた残念な問題の一つである。具体的に言うと、サンフランシスコの公立小学校で、日系人学童の登校が急に拒否され、そのことが国際問題にまでエスカレートしてしまったわけだ。

当時、日本からの移民だけではなく、多くの国々からの移民をアメリカは制限し始めていた。だが、サンフランシスコで起きたこの事件がきっかけとなり、日米関係が特に揺らいでしまった。やがて行われた日米交渉の結果、移民問題は1907年に結ばれた「日米紳士協約」で一旦けじめをつけられた。妥協の内容は、「新しい移民を受け入れないが、既にアメリカに住んでいる日系人の親族だけは受け入れる」という体制だった。ちなみに、合衆国政府の圧力により、アジア人専用の小学校へ一時的に通わせられていたサンフランシスコの学童たちは、再び一般の公立学校へ通わせてもらえた。

幸いなことに、移民問題と対照的だったのは、関東大震災時のアメリカ人の反応だった。当時の新聞でその様子を見てみよう。

震災のおよそ二週間後の1923年9月14日、「サンフランシスコ・クロニカル」の一面には、震災の様子が詳しく述べられている。そして、第二面には、横須賀、大磯、小田原までの広範囲で、死者や負傷者の人数や破壊された家数などが詳しく挙げられるとともに、このような報告も掲載されている:

『海軍輸送船、ベガ丸の士官によると、当船は来週の火曜日に出港し、神戸へ向かって直行する。救助物資を一刻も早く被災地に届けるために、船はホノルルに寄らず、アリューシャン列島の南部を経由して日本へ向かう。5,500トンの米の他に、缶詰めのサーモン、エバミルクなど、サンフランシスコで集められた大量の食料もベガ丸によって運ばれる。フォート・メーソン基地より毛布も寄付されている』

移民問題発祥の地であったとはいえ、十数年前に自分たちも大地震を経験したサンフランシスコの人々は、やはり日本人の被災者に同情したのだろう。サンフランシスコから出港するベガ丸を誇りに思っていただけではなく、カリフォルニア各地で民間人の募金活動が盛んに行われ、「○○市は募金のノルマを達成し、○○郡はノルマまであと少しだ」という記事も二面に掲載されている。

いきなり話を大きな国際問題に戻してしまうことになるが、後にイギリスの首相となったウィンストン・チャーチルの次の言葉を挙げよう:

『名誉ある古代国家に対する、エネルギー溢れる日本人の愛国心は立派であり、イギリスでも、日本の立場を理解してあげる努力が必要だ。日本の片方にあるのは、挑発的なソビエトロシアであり、もう片方にあるのは、混沌状態に陥っている中国だ。しかも、その中国の四・五州は既に共産主義の支配下で苦しんでいる』

これはただでさえ、日本を強く支援する言葉である。だが、日本軍による満州全土の占領に繋がった「満州事変」勃発から一年以上も経った1933年の発言であると思うと、その時点でさえまだ余裕があり、「日本・アメリカ・イギリスという三国は協力し合えば、その後の戦争を避けられたはずではないか?」とまで考えさせる言葉だ。

日露戦争後、大日本帝国とアメリカ合衆国を太平洋戦争に至らせた過程とは、いったいどんなものだったのか? 次回はそのことに触れてみよう。

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1 Comment

  1. 芋三郎

    ブレットさんは、日米間の移民問題を「残念な問題」「エスカレート」という言葉で、軽く考えておられるようです。関東大震災時の義援金と等値される問題ではありません。ブレットさんは、日本語の専門家ですので、敢えて申し上げますが、当然の権利を「させてもらえた」と温情で日本の児童だけ特別に権利を与えられたかのようにも表現されています。

    「平等」の概念からすると移民問題は本質的問題です。多くの国から移民は制限され始めたとあたかも平等かのようですが1924年の法律で実質日本からの移民が禁止されたものです。

    カリフォリニアにも心優しき多くの立派な人々がいましたが、民主主義国家においては正当な手続きを経て制定された法律は、人々の意思として擬制されます。

    「排日移民法」は日米戦争の遠因となっています。

    排日移民法
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%92%E6%97%A5%E7%A7%BB%E6%B0%91%E6%B3%95

    因みに、日本は、1906年のサンフランシスコ大地震の時に義援金送っていますが、その額は国家予算との対比で現在の600億円に相当します。この額に達したのは、なんとか、平等の理念に基づいてカリファルニアの意識改善を図りたいという思いがあったためです。

    サンフランシスコ大地震
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87

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