さて、誤った論理への執着でなければ、帝国主義の本質とは、いったいどんなものだったのか?

その答えは、前回引用したホブソンの言葉にあると私は考える。つまり、「国際問題において、どの国も軽率で利己的な主張をする傾向がある」。これこそが、帝国主義が生んだ様々な野望と残虐行為の本質を解く鍵だ。

『帝国主義論』の中で、ホブソンが特に批判しているのは、貪欲な資本家たちである。国全体の長期的な利益を考えず、資本家たちは自分たちの欲を満たすために、国の政策を操り、世論を乱し、常に帝国の更なる膨張を要求してきた。つまり、帝国主義の本質は至ってわかりやすい「人間の強欲」である。

トマス・モアのこの言葉も挙げられるだろう:

「どこを見ても、必ずいるのは、「国家のため」という口実で、自分の利益をひたすら追い求める金持ちだ」

帝国主義とその時代の複雑な歴史を「論理馬鹿仮説」で片づけようとするのは、あまりにも非現実的な考え方だ。大英帝国ほど大きな国家を動かしたのは、一つの論理ではなく、数百年の間に生まれてきては、成長したり、研究したり、戦ったりする人間たちだった。何世代にもわたる国民の一人ひとりが、「イギリス」という社会に独特な影響を与えた。夢・信仰・欲望に満ち、一人ひとりの心に慈愛も忍耐も憎しみもあった。失敗することもあれば、見事に自分の目標を達成することもあった。

国家・国体・歴史そのものに染み込んで、すべてを包み、すべてに共通した影響を与え続けるものがあるとすれば、それはけっして一つの理論ではなく、全人類の根本的な人間性である。誰にでもある本能的な欲望、潜在意識の中の原始的な感情、こういうものこそが私たちの性格の元素であり、行動のきっかけでもある。言い換えれば、私達は皆一つの人間性の分身である。

この人間性は社会全体の働きにも現れる。輝かしい進歩も、惨い戦争なども、この人間性を持つ結果である。したがって、藤原氏が説く「論理馬鹿仮説」のような思想は、直感・感情・本能の力を無視しているので、医者の誤った診断のようなものである。

エイズ患者の免疫組織が弱っていることに気を留めず、医者はそのときそのときの発熱に一時的な対応しか取らなかったならば、その患者の寿命は著しく縮むだろう。ましてや、社会全体の「病気」を治療しようとするのであれば、その病気の全体像をしっかりと把握した上でないと、治療はうまくいかないだけではなく、実際に悪化させる可能性も充分にある。