『領土を更に増やす政策だろうと、既に占領している広大な熱帯地を積極的に開発するだけだろうと、「帝国主義」によって確実にもたらされるものは、軍国主義と、破滅を招く大戦争だ。その事実はもはや明らかである。我々は世界各国を支配することは確かに出来るようだが、条件として、我々は跪いて、モレクを礼拝しなければならない』

ジョン・アトキンソン・ホブソン(経済学者)、『帝国主義論』より

モレクは、旧約聖書に記録されている(ユダヤ人から見た)異教徒の神である。牛の頭をした男性神で、その崇拝の特徴は人身御供だった。特に新生児や幼児が生贄にされていたようだ。ローマと対立した古代帝国カルタゴでも、モレク崇拝が行われ、600年間で、20,000人以上の子どもが生贄にされたと思われる。

「イギリスの帝国主義はモレク崇拝に等しい」。こう叫んでいたホブソンは、物凄い表現力に恵まれた人物だったようだが、少数派の目立たない人物だったら、一般のイギリス社会における影響力は無かったのかもしれない。ホブソンはいったいどんな人だったのだろう?

実は、ホブソンもまたかなりの大物だ。二十世紀を代表する経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、自分の著作の中でホブソンを引用するほどであり、ロシアのレーニンもホブソンの影響を大いに受けた。日本でも、ホブソンは一般に知られていたようで、1897年から1933年まで、『帝国主義論』を含め、ホブソンの書物は9冊も和訳され、岩波書店などから出版された。

『帝国主義論』で、ホブソンは以下の点で帝国主義を批判している:

• アフリカ大陸や他の熱帯地方におけるイギリスの植民地は、本国に経済的な利益をもたらす見込みはまったくない。しかも、自立国家となり、貿易以外の形で帝国に奉献することも期待されない。

• オーストラリアやカナダと違って、熱帯地方などの植民地は、イギリス人の移民の対象国にもならない。

• 帝国の各地で起こる紛争に巻き込まれ、イギリスは常に経済的な損を受け、国家の名誉や品性も、不道徳な戦争によって損傷を受けている。

• 1870年から1900年の間に、膨張する大英帝国に対する不信や敵意はヨーロッパ諸国において勢力を増し、外交も貿易も悪影響を受けている。

• ヨーロッパ諸国の敵意がこうして高まる中、軍事支出も増える一方である。これが国全体の不景気に繋がる時はやってくるはずだ。

• 途上国の開発を、日本・フランス・ロシアなどの帝国に任せても、将来的にそれはイギリスの繁栄にも繋がる。イギリスは自ら携わる必要はない。

• やたら国境を広めようとすることは野蛮な行為であり、国内の資源を生かしながら貿易に専念することこそは、正当な経済活動である。

藤原氏が言うように、イギリスは帝国主義独特の「論理」に幻惑されていたどころか、帝国主義の「非合理」がどれだけイギリスで議論されていたかは、ホブソンの思想によって明らかである。

『帝国主義論』のこの言葉も引用しよう:

『アフリカやアジアの植民地をめぐる争奪は、ヨーロッパ各国の政策を左右している。共通の歴史や自然な同情とまったく関係ない同盟が結ばれている。どの国にも莫大な軍事支出が背負わせられている。アメリカ合衆国も、伝統である孤立主義を捨てざるを得ない状況となり、この紛争に巻き込まれてしまった。植民地の争奪が起こす外相問題の数が多く、スケールも大きい。急激に現れるこれらの問題は人類の進歩を絶えず妨害し、平和そのものを威嚇する存在である。

国際問題においては、どの国も軽率で利己的な主張をする傾向がある。しかし、世界各国が生活必需品確保の上で相互依存している現代においては、上記のような争奪を国際関係の標準として受け入れることは、文明そのものを危険にさらす愚かな行為である』