「1900年の時点のイギリスには、天才も秀才もたくさんいたし、人格者も聖職者もたくさんいたはずです。しかし、論理というものがきちんと通っていれば、後に振り返っていかに非道に思えることでも、なぜか人間はそれを受け入れてしまうのです。…… 今から考えると、植民地主義や帝国主義というのは、たんなる傲慢な論理にすぎない。しかし、当時は、きちんとした論理が通っていたので、みながそれに靡いたのです。帝国主義が「本当にいけないこと」として認知されたのは、第二次世界大戦が終わってからに過ぎません。」

『国家の品格』 第一章より

十九・二十世紀における帝国主義や、その他の近代歴史について考える時、藤原氏はまた「論理馬鹿仮説」を用いているようだ。だが、いくら悪の代名詞となった「帝国主義」がテーマでも、バランスのある思考法で取り組まなければならない。複雑な歴史問題だからだ。先入観たっぷりの智子イズムで取り組んでしまえば、ろくな結論も出なく、昔の恨みや敵愾心が蘇るだけだろう。

帝国主義の本質に触れる前に、帝国主義の倫理問題が、第二次世界大戦終了まで本当に認められなかったかということについて考えよう。

先ずはっきりと言っておく。決してそうではなかった。大英帝国が膨張するにつれて、その膨張を非難する声も常にあった。しかも、その声は徐々に勢力を増していた。

例えば、首相候補だったイギリスの政治家、チャールズ・ディルクは1899年に、『大英帝国』という本を執筆した。その中にはこんな箇所もある:

「『自由』を揚げて正当化しても、アフリカ大陸の区画や『コンゴ自由国』の設立を促進することによって、我々は、先祖が犯した奴隷貿易の罪より大きな悪事に参加していると言えるだろう」

この『大英帝国』は、数多くの新聞評論家の賞賛を受け、現代の言葉で言えば、ベストセラーだった。しかも、実際のところ、ディルクは帝国主義「賛成派」の有力な一員だった。そんな彼がそこまで正直な反省を公に述べられたことは、当時のイギリスでどれだけ盛んな議論が為されていたかを表しているだろう。

帝国主義は大きな社会問題として取り上げられていたことをはっきりと示す書物は他にも多数ある。ジョン・ロバート・シーリーの『英国膨張史』はその一冊である。1883年7月に発刊された『英国膨張史』は、同年の10月に早くも重版が決定され、再発刊は1914年までには、18回も行われた。

ちなみに、歴史家・作家として高い評価を得ていたシーリーは、日本にも影響を与えている。稲垣満次郎は、イギリス滞在中に著した英作文「Japan and the Pacific and the Japanese View of the Eastern Question」を、恩師であったシーリーに提示するほどであった。

では、『英国膨張史』の一箇所だけ挙げよう:

「わが国民の間では、帝国に対する考え方は二通りある。片方の思想を持つ者は、大言壮語する癖があり、もう片方は、悲観的なことしか言わない。

前者は、巨大な帝国を築き上げるために費やされた壮大な努力とエネルギーを思うと、恍惚とした情を抱く。したがって、帝国を維持することは、国の名誉や品格を保つための義務であると、この人たちは主張する。

後者の主張は正反対である。つまり、帝国は侵略行為から生まれた上に、無益な植民地は本国イギリスの重荷になっていると、彼らは解釈する。それから、島国独特の国防的な利点は失われ、イギリスは世界各地の争いに巻き込まれてしまうことを恐れている。したがって、帝国の速やかな廃止を、この人たちは望んでいる」

「帝国は侵略行為から生まれた」、「無益」、「重荷」……。強い言葉ばかりだ。反対派は、遠慮せずにがんがん不平をこぼしていたようだ。

ところで、ディルクと同じように、シーリーも国の政策としての帝国主義を支持していた。次回は、経済学者、ジョン・アトキンソン・ホブソンの『帝国主義論』より、実際の反対者の言葉を挙げておこう。