藤原氏が言うには、「平等」は論争を煽り立てる自己中心的な考え方であり、自分の利己心を正当化する口実に過ぎない。

しかし、私のクレジットカードが盗まれ、私に成りすまして誰かが買い物をしたとしても、私自身の存在がなくなるわけではない。同じように、利己心が「平等」と名乗り、「平等」という言葉が悪用されることがあっても、純粋な「平等」という概念には何の変わりはない。

アメリカの奴隷制度の歴史を振り返ると、真の「平等」概念は、いかに人間社会を改良してきたかはわかる。

例えば、こういう話がある。

1742年、ニューヨーク州の小さな農場で、マム・ベットという女性が奴隷として生まれた。ベットは成人するまでその農場で育ち、働き続けたが、主人(飼い主)が亡くなると、娘の相続の一部として、ベットはマサチューセッツ州に引き取られた。38歳になるまで、ベットは元主人の娘とその夫(ジョン・アシュリー)に仕えた。その間、ベットは結婚したが、夫は独立戦争の戦いで殺され、また独り者となってしまった。

1780年のある日、女主人に叩かれたベットは逃げてしまった。これは相当な覚悟の要る行為だった。見つかれば、体罰は当たり前で、南部に売られてしまう可能性もある。だが、ベットはアシュリーに見つかっても、彼の言うとおりにしようとせず、一緒に農場に帰らなかった。

実は、その年、マサチューセッツ州の憲法が新しく批准され、独立宣言の「すべての人間は平等に創造され、作り主によって、本質的尚且つ侵すべからざる権利を与えられている」という言葉は、ほぼそのまま採用された。ベットは字が読めなかったが、周りの人の会話からこの法律のことを知ると、彼女は自分がもはや法律上奴隷ではないはずだと確信を持ち、町の弁護士のところに駆けつけた。

幸い、弁護士はベットに協力することにした。アシュリーのもう一人の奴隷(ブロム)も原告になり、『ブロムとベット対アシュリー事件』として裁判が行われた。「すべての人間は平等である」ことは、二人の唯一の主張ではあったが、陪審員の評決により、二人の解放は被告のジョン・アシュリーに求められた。損害賠償として、ベットには18年分の給料も要求された。

では、マサチューセッツ州の憲法に「平等」の概念が採用されたのは、王や貴族に対抗するためだったのだろうか? もちろん、それはありえない。州の憲法にはそんな相手なんてそもそもいない。言うまでもなく、それは個人的な利己心を正当化する口実でもなかった。独立宣言と同じように、マサチューセッツ州の憲法はすべての人民の権利を守るために「平等」という概念を重視していた。結果の一つとして、マサチューセッツ州は奴隷制度を廃止する始めての州となった。

奴隷解放、女性の選挙権、様々な人権の法律化……。「平等」という概念は今まで人間社会を大いに進歩させてくれた。今さら、「でっち上げた思想だ」と言って、「平等」を捨てても、ろくなことはないだろう。