3182行にも及ぶ叙事詩「ベオウルフ」が書かれたのは、紀元700年頃とされている。作者が用いた言語は、5世紀半ばからおよそ12世紀まで、イングランドで使われていたアングロ・サクソン語だ。「古英語」とも呼ばれるこの言語は、現代の英語の中核として残っており、英語で最も頻繁に使われる100語の中でも、96語は古英語に由来している。I, you, heなどの代名詞、the, an, aという冠詞、 is, are, wasなどのbe動詞、一般動詞の get, come, write, goなど、前置詞の on, in, into, withなど、その他にも数多くの疑問詞、接続詞、助動詞……、英語の基本となる単語はそのまま古英語の時代から使われている。

「ベオウルフ」の他にも、石に彫られ、パーチメント(羊皮紙)に書かれ、現在残っている古英語の文書は沢山ある。韻文や詩歌だけではなく、聖書の翻訳文、聖人の伝記、神父の説教、歴史書、医学書、遺言書、公の記録(土地の売買や法律に関するものなど)、お守り、まじない……。その種類もまた豊富だ。

それぞれの文書から確認され、現代の古英語辞典に収録されている語数は二万語を超えている。日常の実用的な会話はもちろん、古英語は繊細な描写や表現を必要とする詩文にも向いていて、「ベオウルフ」はその巧みな表現力の証だ。基本的に冒険物語でありながらも、「ベオウルフ」の中には、抽象的な感情や情緒も上手く取り入れられている。城をグレンデルから守ろうとする歩哨たちの恐怖、息子を亡くす父親の悲しみ、愛国心や君子への忠誠、これらはみんな生き生きと描写されている。

こういう意味で、「ベオウルフ」は新文学の開幕を告げているのだ。冒頭にある「さて。我々は聞いている。古のデネ王家の栄光を、荒々しい勇士らの手柄を」の部分を、次のように言い換えても良いだろう。「さて、我々は、自分たちの思想・伝説・夢を、自分たちの言葉で伝える時代がやって来た! たとえば、古くからあるこの話を聞け!」

ただし、完成度の高い「ベオウルフ」は新文学時代の到来を最も強く主張しているとしても、それは決して珍しい存在ではなかった。中世は「自国語」による文学がどの地方でも芽生えた時代だ。

「ベオウルフ」のような叙事詩なら、ドイツやロシアにも、チェコやポーランドにもあった。北欧のエッダ神話の物語と詩集も、スペインの「わがシドの歌」もこの類の文学だろう。

それから、騎士道と共に現れ、中世文学や歌に大きな影響を与えたのは、数多く作られた武勲詩だ。豊かな想像力と遊び心を表すこれらの冒険物語には、恋愛、忠誠、裏切りなど、普遍的なテーマが基本となっている。様々な「アーサー王物語」やフランスの「シャンソン・ド・ジェスト」が武勲詩の代表作であり、未だに欧米人の心に深く根付いている。

イタリアのジョヴァンニ・ボッカッチョの物語集「デカメロン」には、中世独特の恋愛物語だけではなく、ペストの大流行時代における一般人の悲劇的な経験も生々しく描写されている。この本はチョーサーの「カンタベリー物語」にも大きな影響を与え、盛んに作られていたヨーロッパ諸国の文学は、互いに影響しあっていたことがよくわかる。文学による国際交流のルーツも中世にある。

ダンテ・アリギエーリの「神曲」が中世の作品だということも忘れてはならない。物語の主人公であるダンテ自身が、地獄に降りて、自分の罪に相応しい罰を受けている罪人の間を案内された「地獄篇」は、「神曲」の最も有名な部分だろう。だが、地獄篇・煉獄篇・天国篇を全部あわせた「神曲」は中世文学の最高傑作とも言える。叙事詩・武勲詩・ラテン語文学、それまでのすべての流れを受けて、絶頂に達したからである。

最後に、個人的な意見を述べるが、私にとって中世ヨーロッパ文学の何よりの魅力は、それが階級を問わず、すべての人間が参加した「大衆文化」であることだ。貴族の気高い遊びだけではなく、商売人、小百姓、軍人、修道僧……、社会の隅々から民衆の人間臭さが伝わり、中世文学は現代人の心にも直接訴える力に満ちている。