中世の多くの書物は英語やフランス語ではなく、ラテン語で書かれている。これこそは、(日本や中国の古典に比べて)ヨーロッパの古典が少なく思われる理由の一つである。当時の国際語はラテン語だったので、自国以外の人に自分の作品を読んでもらいたければ、ラテン語で書くしかなかったのだ。現代では日本人の科学者が英語で論文を出すのとまったく同じ理由だ。

「中世のヨーロッパ人は文学的な価値のある作品を書き上げなかった」と主張するのであれば、大量のラテン語文学を無視していることになる。その中で、量と質の良さで特に目立つのは神学・哲学関係のものであり、「然りと否」などを書いたアベラールも忘れてはならない。しかし、何と言っても、ラテン語による「哲学系文学」の最高峰に立つのは、ドミニコ会員の博士、トマス・アクィナスだ。少しだけ、彼の人生と作品について述べよう。

1225年前後イタリアの貴族の家に生まれたアクィナスは、熱心な信仰心の持ち主であったため、家族の反対を押し切って修道院に入った。体が大きいアクィナスは学生だった頃には、口数が少ないため、同級生に「無口の雄牛」と、あだ名をつけられた。頭もさほど良くないと思われていたらしく、ある時、一人の上級生が親切のつもりで、論理学の基本をアクィナスに説明しようとした。しかし、自分の理解が足りなく、上級生が説明しきれない話題になってしまった時に、アクィナスは遠慮気味にその箇所を先輩に解き明かしてあげたそうだ。この時から、アクィナスは学生たちの間で少しずつ噂されるようになった。「もしかして、本当は頭がいいのではないか」と。

学生たちより確実にアクィナスの才能を認めていたのは、有名な教授、アルベルトゥス・マグヌスだった。ある日の授業中に教授は全員に向かって次のように断言したそうだ。

「お前たちはこの男を『無口の雄牛』と呼んでいるが、私はお前たちに言っておく。全世界に響き渡る大声で、彼はいつかほえ出すだろう!」

教授の予言どおり、とうとうほえ出したアクィナスは、「スコラ学」の第一人者となり、アクィナスの最高傑作は、ラテン語で書いた「神学大全」である。

中世のどの哲学者も目指していたのは、信仰と理性の調和であった。言い換えれば、「聖書の言葉」と「アリストテレスの教え」の融合を求めていたのだ。その努力の結晶であった「スコラ学」というのは、特定の思想や哲学の分野ではなく、ある思考法の名称である。つまり、スコラ学は、推理の原則に従って、議論の矛盾や誤りを発見して、徐々に真理を導き出す方法だった。3000ページにも及ぶ「神学大全」はスコラ学の特徴と成果を最もよく表している書物でもある。

アクィナスが、「神学大全」の中で取り組んだ論点は三百以上ある。テーマ別にアレンジされているこれらの論点は、すべて「YES」か「NO」で一旦答えられる疑問形式で表現され、これが「神学大全」の大きな特徴である。要するに、アクィナスは「神とは何なのか」についていきなり語り出すのではなく、「神は存在するのか」、「神の存在を証明できるか」のように、大きなテーマを噛み砕き、少しずつ明確に説明するように工夫していた。

そして、それぞれのテーマを定義してから、アクィナスが最初に挙げるのは、各論点に関する反対の意見だ。例えば、「神は存在するのか」という章には、最初に挙げられるのは、神の存在を否定する考え方の例とその詳しい説明だ。

いろいろな視点から反対意見を挙げてから、アクィナスが次に挙げるのは、論点を裏付ける考え方や理屈である。しかし、ここで最初に用いられるのは、アクィナス自身の思想ではなく、教父たちの言葉や聖書の引用だ。過去の学者や伝統的な教えへの深い敬意がよく伝わる。

引き続き、アクィナスはやっと自分の意見を詳しく述べるので、この部分はそれぞれの論点に対する「本文」であると言っても良かろうが、ここで終わりではない。最後にアクィナスは、もう一度反対の考えに焦点を当て、なぜそれが間違っているのか、ということについて丁寧に説明する。

言うまでもなく、智子イズムと正反対のやり方だ。

スコラ学独特のこの論法がわかりやすいため、アクィナスの言葉を読んでいると、まるで筆者と直接語り合っている気になれるのは何とも言えない楽しさがある。しかし、「神学大全」の何よりの魅力はアクィナスが選んだそれぞれの論点の内容そのものだ。

神の存在や特質、いかにもキリスト教の神学書にありそうなテーマはもちろんだが、アクィナスの志は大きく、それ以外にもかなり幅広い学術と薀蓄を披露してくれるのだ。善と悪の性質、人が目指すべき美徳・避けるべき悪徳、「正戦論」という戦争についての考え方など、アクィナスは、倫理学について鋭い評価と判断を繰り広げる。愛とは何か、憎しみとは何か、幸せや人生の目的とは何か、人類の永遠のテーマであるこれらの問題も取り上げられ、法律の基盤とは何か、不正な法律に対する対応の仕方など、かなり実践的な政治学・法律学の話も取り上げられる。認識論、美学、心理学……。アクィナスはどんな分野にも関心を寄せ、アリストテレス以来の天才だった。

本題に戻るが、アクィナスと彼が執筆した「神学大全」は、中世哲学の最も素晴らしい例だとしても、ここで認めなければならないのは、歴史の知的空白の中にアクィナスがぽつんと現れたわけではないことだ。つまり、アクィナスの前にも後にも、中世では大いに活発な研究と思考が行われていたのだ。他の思想家の哲学書や神学書も沢山あり、今日存在する中世のラテン語文学の原稿よりも、失われてしまった分の方が遥かに多いともされている。

現代人に読みやすい英語やフランス語で書かれていないがために、このような宝石の山を「文学がなかった」と簡単に否定することは大きな間違いだ。