こうして、案外明るかった「暗黒時代」の話をいくらでも挙げられるが、中世の暗い面も認めなければならない。貴族や庶民、すべての人を巻き込んだ戦争や、急激に広まった疫病もまた中世の大きな特徴だった。

しかし、イタリアのボローニャで起こった興味深い話を一つ挙げよう。

大人の男性一人と猫一匹を戦わせる試合が企画され、そのために大きな檻も用意されたそうだ。この檻の中で戦うため、猫は逃げられなく、男は簡単に勝つのではないかと思われるが、猫を 噛み殺す ことが決まりだった。しかも、手を一切使わずに戦わなければならなく、男の目が猫にやられれば失格となる決まりになっていた。

残酷そのものの企画だ。こんなことを考え付くことからして、当時の人間はやっぱり野蛮だったとも思われるかもしれない。ところで、この惨い戦いを目にし、驚きながらブーイングで止めさせようとした人たちもいたらしい。それはボローニャ大学の学生たちだった。

怖いもの見たさ。気持ち悪いもの見たさ。このような歪んだ好奇心はどんな時代にもあるようだ。例えば、最近は拷問や人殺しを見せ物にする日本やアメリカのホラー映画は、これと同じ心理から生まれ、偽物とはいえ、「猫対決」の話を遥かに超える恐ろしさがあるとも言えるだろう。

もっと大きく言えば、戦争もまたどの時代にも起こるが、中世どころか、20世紀の戦争こそが人類の歴史の中でもっとも恐ろしい戦争だったとも言える。強制収容所・大量虐殺・民間人を巻き込む空襲・毒ガス・生物兵器……。これらはすべて我々の時代の出来事である。

下品で暴力的な見せ物にしろ、国の政策として行われる戦争にしろ、争いを亡くす努力があるとすれば、その第一歩は個人個人の反対の声だろう。そして、もしそうだとすれば、我々は「暗黒時代」の学生たちから未だに学べることがあるようだ。

疫病についても、一つ言えることは、当時のどこの国や地方でも同じ状況だったことだ。例えば、カール大帝と同じ時代の日本では、天然痘が流行って数多くの人々が犠牲者となった。島国の日本でも、ワクチンや抗生物質が発明される以前の世の中は至って危険な場所だったわけだ。中世ヨーロッパは、領土も広く、民族同士の交流が盛んだった。中近東・アフリカ・アジアとの貿易などもあり、逆に言えば、疫病の広まりがなかったならば、その方が不思議だろう。

ちなみに、現代医学の奇跡的な発展にもかかわらず、過去30年間で25,000,000人以上のエイズ患者が死亡している。平成2年にはHIV感染者は8,000,000人だったが、20年後の平成22年はどうかと言うと、感染者はなんと33,000,000人にまで上昇している。エイズで親を亡くしたアフリカの孤児は14,000,000人を越えている。

過去を「暗黒時代」と呼び、馬鹿にする資格は本当に我々にあるのだろうか?

過去についての悪質なカリカチュアは、我々現代人のためになるのだろうか?