『産業革命はイギリスで起きてしまいました。アフリカ、中南米、中近東はもちろん、日本や中国でさえまったく起こりそうな気配がなかった。と言うと、いかにも欧米の白人が優秀で、ほかの民族が劣等であるかに思えてきます。しかし、事実はそうではありません。例えば、五世紀から一五世紀までの中世を見てみましょう。アメリカは歴史の舞台に存在しないに等しい。ヨーロッパも小さな土地を巡って王侯間の抗争が続いており、無知と貧困と戦いに彩られていました。「蛮族」の集まりであったわけです。』    「国家の品格」第一章より。

欧米独特の論理への執着によって、世の中はやられてしまっている。この「論理馬鹿仮説」が、藤原氏の大きな主張であり、前章ではそれを見てきた。だが、そういう流れから考えたとしても、藤原氏がなぜ中世ヨーロッパをこうも批判しているのかが、正直に言うと、私にはよくわからない。なぜなら、論理への執着などがあったとしても、それはルネサンス期以降の話であって、中世がどうのこうのというのはあまり関係ない気がする。

しかし、藤原氏がまたカリカチュアにより、読者の欧米人に対する気持ちに訴えようとしているだけだとすれば、批判の理由がわかる気がする。つまり、中世ヨーロッパの批判は、サルに似せられたブッシュ大統領の似顔絵やナストの描いたワニと同じだ。それに、「国家の品格」の他の場所では、「槍一本でライオンを倒せるマサイの勇士」に対して「鉛筆より重いものを持ったことのないような非力な白人」が挙げられ、「闘争好きな欧米人」や「こんな奴ら」のような言い方も使われている。「欧米人に対する差別じゃないか!」と、大げさなことを私は言わないが、藤原氏は、対人論証や悪質なカリカチュアを利用することには、どうやら何の抵抗が無さそうだ。だったら、そうした時にはそれを指摘せざるを得ないのだ。

そもそも、「中世ヨーロッパ」という言い方は、どの時代を指していて、その時のヨーロッパはどんな世の中になっていたのだろうか?