GONOSEN-II

文学、歴史、時事問題。 とりあえず、私はこう思う。

恋愛詩 (37)

せっかくだから、もう一つの例を見てみよう。次の場合は、共通している感情も同じであれば、それぞれの反応まで大して変わらないかもしれない。 まず、和漢朗詠集からだ: 頼めつつ 来ぬ夜あまたに なりぬれば 待たじと思うぞ 待つにまされる (相手が訪れてくることを毎晩期待しても、結局来ない夜がずっと続いてしまっている。だが、「これ以上待つまい」と決心するのもまた辛いことである) 満たされない愛。その寂しさはいかに耐えがたいことか、これも普遍的なテーマだ。 アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンも、自分の心境をこう表現した: I am he that aches with amorous love; Does the earth gravitate? does not all matter, aching, attract all matter? So the body of me to all I meet or know. (私は恋情に思い悩む者だ。 地球に発せられる引力の如く、 どの物質も周囲の物に強く憧れ、引き付けようとするのではないか? 私の体も、知り合う全ての人を引き付けようとしている) ギリシアの女性詩人サッポーも、強く渇望的な愛の辛さを上手に描いている: 情欲が又もわたしの身を揺さぶりまわす。 手足の力がとろかしてしまい、 からみつくこのほろ苦さに わたしには何の抵抗もできない。 愛の力は恐ろしいものらしく、中国の隠逸詩人であった陶淵明でさえ、次のような切ない句を詠んでいる: 願在晝而爲影 常依形而西東 悲高樹之多陰 慨有時而不同 願在夜而爲燭 照玉容於両楹 悲扶桑之舒光 奄減景而藏明 (できることなら、昼には、影となって、あなたの身に寄りそっていたい。 しかし、悲しいことに、高い樹木の影も多く、ときどき一緒にいられなくなる。 できることなら、夜には、灯火となって、柱の間からあなたの美しい姿を照らし ていたい。しかし、悲しいことに、朝日が差してくると、あなたは私を消してし まうだろう) この歌は、淵明の妻が死んだ後の作品ともされているので、一層切なく感じられる。

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1 Comment

  1. athena

    でもやはり、和漢朗詠集と陶淵明の例は少しナイーブですね。ウォルト・ホイットマンとサッポーの例は情熱と少しのフラストレーションを感じますね。

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