倫理について少し考えよう。

『人を殺していけないのは『駄目だから駄目』ということに尽きます。『以上、終わり』です。論理ではありません。このように、もっとも明らかのように見えることですら、論理的には説明出来ないのです。』
「国家の品格」第二章より。

これは立派な言葉だ。藤原氏の言うとおりだろう。だが、氏の言うように、これもまた欧米では理解されていないのだろうか?

そんなはずはない。

カントの至上命令や、ベンサムとミルの功利主義など、理屈っぽい倫理思想は確かにある。だが、藤原氏の言う「駄目だから駄目」のような、いわゆる先天的な概念こそが、倫理学の基本であることも、欧米では理解されている。ここでは、そんな話を深く追求しない。なにしろ、大半の人はカントの書物を手にすることは先ず無い。欧米における倫理観の本当の原点を追求した方が有益だろう。

そもそも欧米の倫理学の土台は何なのだろうか?

明らかに哲学ではなく、宗教だ。具体的に言えば、キリスト教の教えだ。キリスト教は欧米において二千年もの歴史があるので、そのルーツは非常に深い。「僕は無神論者だ。宗教なんか嫌いだ」と言う人もいるかもしれないが、欧米人である限り、キリスト教独特の倫理観の影響を多少なりとも受けているはずだ。親のしつけ、学校の教育、映画、文学……、何にでも染み込んでいる思想だからである。

では、キリストの道徳的な教えを少しだけ見てみよう。「山上の垂訓」と呼ばれるキリストの説教の中に出てくる言葉がもっとも代表的だろう:

「目には目を、歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もしだれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

「隣人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからである。

「非合理そのものだ」と言えるほどの話であるが、同時に、欧米人の心にこれほど強く語りかけてくる言葉はないのだ。そして、このような言葉こそが欧米の倫理観の中核となっている。最後に、欧米人であれば誰もが聞いたことがある「八福の教え」を挙げよう:

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受け継ぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和を作り出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである

理屈を加え、キリストの教えを拡大させようとする人、言葉遣いや比喩を現代化させようとする人、すべてを否定したり、無視したりしようとする人。こうして、先祖の受け継ぎに対する反応はいろいろあり、人それぞれの生き方がある。ただし、はっきりと言えることは、受け入れるにしろ、拒むにしろ、欧米の倫理観の土台になっているこれらの教えを意識しない人はいないのだ。宗教から離れつつある現代社会においても、キリスト教的な倫理は我々の心に未だに深く根を張っている。

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今までの話は次のようにまとめることが出来る。

• 論理の原則を尊重しながらも、「形式的誤謬」と、「非形式的誤謬」を基本事項として教える欧米の哲学、

• 議論の前提をしっかり見つめ、現実を把握しようとする欧米のビジネスマン、主婦、小学生の議論の仕方、

• 勘に頼り、感情に促され、とっさにひらめき、偏見と先入観で物事を判断する欧米の人々の根本的な人間らしさ、

• 潜在意識より湧き上がる宗教の教えに導かれる欧米の倫理観、

私は以上のことを考えると、欧米人が、かたくななほどに論理に執着しているがために、道に迷った哀れ・滑稽・危険な人々であるとは、とても思えない。どちらかと言えば、勉学・仕事・育児などに日々努めながら、時には成功して、時には失敗する、至って普通の民族に思われるのだ。他の国の文化と同じように、欧米独特の文化にも、賞賛に当たる部分も批判すべき部分もある。

だが、藤原氏の説く「論理馬鹿」というのは、どこにも見当たらない。