確かな知識を目指す論理学がローマ帝国崩壊後にヨーロッパへ伝わった時、大きな刺激を受けたのは、中世の聖職者と神学者だった。12世紀を代表する学者、ピエール・アベラールもその一人であり、彼の著作「然りと否」は、論理学が当時の学問にどのような影響を与えたかを物語っている。

アベラールは、「然りと否」の中で、初期キリスト教の指導者たちによる発言(158)を収録しているが、それらはすべて、アベラールが「矛盾している」と判断したものばかりだ。とはいえ、教授であったアベラールの真の目的は、教父たちを批判することではなく、このような矛盾をどう解決できるかを、彼の生徒たちに考えさせることだった。したがって、「然りと否」は論文ではなく、「教科書」と呼んだ方が良いのかもしれない。

「然りと否」の序文の一部を引用しよう: 

『私は、教父たちの格言を収録し、その中にある「矛盾」について討論問題を作成した。これらの問題に刺激され、読者が熱心に真理を追究することによって、新しい知恵に導かれれば幸いである。

真の知恵を得るには、「疑問」を絶えず抱かなければならない。この原則を理解していたアリストテレスは、物事を疑問視する精神を何より強調した。『カテゴリー論』の中で、アリストテレスは次のように述べている。「常に討論する以外に、望ましい結論に至る方法はない。何事においても、詳細に対する疑問を抱くことは大いに有益なことである」。

疑問を抱くことによって、人は考察するようになり、考察することによって、人は真理に導かれるのだ。』

現代の哲学の教科書に出てきてもおかしくない言葉だ。教育や真理の追究に対するアベラールの熱い思いが伝わり、めざましい進歩を見せる現代科学も、このような考え方に基づいていると言っても過言ではないだろう。

当時は、何千人もの学生がアベラールの元に集まったため、彼だけが新しい哲学に燃えていたのではなく、中世ヨーロッパには、好奇心にあふれ、学問に励んでいる人は大勢いたことがよくわかるのだ。

古代ギリシアの「論理学」に引火し、一気に燃え出した中世ヨーロッパの「合理精神」、これは正に今も燃え続ける欧米哲学の灯火だ。

だが、藤原氏が言うように、欧米人は本当に論理の輝きに目が眩んでいるのだろうか?