GONOSEN-II

文学、歴史、時事問題。 とりあえず、私はこう思う。

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真珠湾攻撃までの流れ 1 (30)

では、アメリカと中国の「恋愛関係」を頭に入れながら、真珠湾攻撃までの流れを見てみよう。大雑把ではあるが、次の15点にまとめてみた:

① 20世紀に入ると、軍隊・産業・経済の更なる近代化のため、日本は国内で入手できない大量のゴム、錫(すず)、ボーキサイト、鉄、石油などがどうしても必要だった。これらの資源の貿易は、国の大きな財政負担となっていた。

② 明治維新から日本の人口が倍増したこともあり、「帝国の膨張」こそが、有力な経済政策として取り上げられるようになった。

例えば、1907年という早い時期から、海軍参謀の一部が南方への進出を考え始めた。具体的には、中国の南部地方やマレーシア、フランス領インドシナ(現代のベトナム・カンボジア・ラオス)、オランダ領東インド(現代のインドネシア)の占領を本格的に考慮していた。しかし、これを実行した場合、アメリカが抵抗してくることも予想されていたので、フィリピンやグアムを攻撃することによって米軍艦隊の出港を誘き寄せ、基地から遠く離れた海上で待ち伏せをする戦闘計画も練られた。

あるいは、海軍ではなく、陸軍参謀はどう考えていたかというと、「北進し、満州や東シベリアを占領する」という作戦が有力だった。当然ながら、この場合には、中国やロシアの抵抗が予想されていた。

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アメリカと中国の「恋愛関係」 2 (29)

前回、中国YMCA会長のデヴィッド・ユイがワシントンDCに行って、日本軍による満州占領の不義をアメリカ政府に直接訴えたことにふれた。だが、こうした政治家への呼びかけより、日米関係における大きな影響を及ぼしたのは、映画『大地』だったのだろう。

お気づきの読者もいるかもしれないが、23,000,000人ものアメリカ人が『大地』を観に行った1937年は、盧溝橋事件により日中戦争が本格化した年でもある。つまり、日本国内で、日中戦争がどう正当化されていたとしても、中国の農民を気の毒に思っていたアメリカ人にとっては、日中戦争に関するニュースは、「弱いものいじめ」や「酷い侵略戦争」の話にしか聞こえなかった。

一つの例を見てみよう。

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アメリカと中国の 「恋愛関係」 1 (28)

日米戦争の原因について、まず注意を払いたいのは、当時のアメリカと中国の意外に親密だった関係だ。

「恋愛関係」とは、妙な例えであると思われるかもしれないが、実際には、恋人というのは、相手に対する強い執着を抱きながらも、互いに理解し合えなかったり、傷つけ合ったりする、不思議なやり取りのある関係でもある。アメリカと中国も正にそのとおりだった。日米の場合を遥かに超えるような移民問題があったこと、中国が共産主義国家になった後には、正式な外交がすべて断たれてしまったこと、朝鮮戦争の際、実際に交戦までしてしまったことなど、これはすべて一般に知られているが、ここでは、この「離婚」の前の関係に焦点を当てよう。

1884年2月に、アメリカと中国は「望厦(ぼうか)条約」を結んだ。治外法権などの条件もあり、不平等条約だったという解釈もあるだろうが、ここでは、法律や貿易関係の条件より大切なのは、アメリカに譲られた他の種類の特権だ。

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移民問題と関東大震災 (27)

前回、移民問題の話が出たが、それは、世界の舞台で活躍し始めた大日本帝国を、アメリカの国民が案外好意に思っていたにもかかわらず、アメリカ国内で起きた残念な問題の一つである。具体的に言うと、サンフランシスコの公立小学校で、日系人学童の登校が急に拒否され、そのことが国際問題にまでエスカレートしてしまったわけだ。

当時、日本からの移民だけではなく、多くの国々からの移民をアメリカは制限し始めていた。だが、サンフランシスコで起きたこの事件がきっかけとなり、日米関係が特に揺らいでしまった。やがて行われた日米交渉の結果、移民問題は1907年に結ばれた「日米紳士協約」で一旦けじめをつけられた。妥協の内容は、「新しい移民を受け入れないが、既にアメリカに住んでいる日系人の親族だけは受け入れる」という体制だった。ちなみに、合衆国政府の圧力により、アジア人専用の小学校へ一時的に通わせられていたサンフランシスコの学童たちは、再び一般の公立学校へ通わせてもらえた。

幸いなことに、移民問題と対照的だったのは、関東大震災時のアメリカ人の反応だった。当時の新聞でその様子を見てみよう。

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当時のアメリカ人・イギリス人は日露戦争をどう思ったのか (26)

「武道精神は戦後、急激に廃れてしまいましたが、実は既に昭和の初期の頃から少しずつ失われつつありました。それも要因となり、日本は盧溝橋事件以降の中国侵略という卑怯な行為に走るようになってしまったのです。『わが闘争』を著したヒットラーと同盟を結ぶという愚行を犯したのも、武道精神の衰退によるものです。

私は日露戦争および日米戦争は、あの期に及んでは独立と生存のため致し方なかったと思っています。あのような、戦争の他に為すすべのない状況を作ったのがいけなかったのです」

『国家の品格』 第一章より

「日米戦争」の話を一旦置いておいて、「日露戦争」についてまず考えよう。

日露戦争に関しては、「日本の独立と生存のための戦いだった」という考え方を持つ当時の欧米人も多かった。特に好意的な態度を示したのは、日本の陸軍と共に行動し、日露戦争を最前線で見たイギリス人観戦武官たちである。

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帝国主義の本質とは (25)

さて、誤った論理への執着でなければ、帝国主義の本質とは、いったいどんなものだったのか?

その答えは、前回引用したホブソンの言葉にあると私は考える。つまり、「国際問題において、どの国も軽率で利己的な主張をする傾向がある」。これこそが、帝国主義が生んだ様々な野望と残虐行為の本質を解く鍵だ。

『帝国主義論』の中で、ホブソンが特に批判しているのは、貪欲な資本家たちである。国全体の長期的な利益を考えず、資本家たちは自分たちの欲を満たすために、国の政策を操り、世論を乱し、常に帝国の更なる膨張を要求してきた。つまり、帝国主義の本質は至ってわかりやすい「人間の強欲」である。

トマス・モアのこの言葉も挙げられるだろう:

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イギリスの帝国主義 2 (24)

『領土を更に増やす政策だろうと、既に占領している広大な熱帯地を積極的に開発するだけだろうと、「帝国主義」によって確実にもたらされるものは、軍国主義と、破滅を招く大戦争だ。その事実はもはや明らかである。我々は世界各国を支配することは確かに出来るようだが、条件として、我々は跪いて、モレクを礼拝しなければならない』

ジョン・アトキンソン・ホブソン(経済学者)、『帝国主義論』より

モレクは、旧約聖書に記録されている(ユダヤ人から見た)異教徒の神である。牛の頭をした男性神で、その崇拝の特徴は人身御供だった。特に新生児や幼児が生贄にされていたようだ。ローマと対立した古代帝国カルタゴでも、モレク崇拝が行われ、600年間で、20,000人以上の子どもが生贄にされたと思われる。

「イギリスの帝国主義はモレク崇拝に等しい」。こう叫んでいたホブソンは、物凄い表現力に恵まれた人物だったようだが、少数派の目立たない人物だったら、一般のイギリス社会における影響力は無かったのかもしれない。ホブソンはいったいどんな人だったのだろう?

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イギリスの帝国主義 1 (23)

「1900年の時点のイギリスには、天才も秀才もたくさんいたし、人格者も聖職者もたくさんいたはずです。しかし、論理というものがきちんと通っていれば、後に振り返っていかに非道に思えることでも、なぜか人間はそれを受け入れてしまうのです。…… 今から考えると、植民地主義や帝国主義というのは、たんなる傲慢な論理にすぎない。しかし、当時は、きちんとした論理が通っていたので、みながそれに靡いたのです。帝国主義が「本当にいけないこと」として認知されたのは、第二次世界大戦が終わってからに過ぎません。」

『国家の品格』 第一章より

十九・二十世紀における帝国主義や、その他の近代歴史について考える時、藤原氏はまた「論理馬鹿仮説」を用いているようだ。だが、いくら悪の代名詞となった「帝国主義」がテーマでも、バランスのある思考法で取り組まなければならない。複雑な歴史問題だからだ。先入観たっぷりの智子イズムで取り組んでしまえば、ろくな結論も出なく、昔の恨みや敵愾心が蘇るだけだろう。

帝国主義の本質に触れる前に、帝国主義の倫理問題が、第二次世界大戦終了まで本当に認められなかったかということについて考えよう。

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歴史問題 (22)

歴史を芸術に例えるとしたら、彫刻が一番似ている分野だろう。

要するに、歴史の基本的な「事実」は、歴史家の手では粘土となり、その粘土を使い、歴史家は自分のイメージどおりの作品を作り上げる。粘土を練りながらゴミを取り除く彫刻家と同じように、歴史家も自分の「作品」に入れたくない史実を取り除くことが出来、作品の中には、自分の歴史観と解釈をいくらでも強調できる。

自分の先入観を認めた上で、ありのままの史実だけ伝えようと努力すれば、歴史家はある程度バランスのある作品を作り上げられる。すると、過去と同じ問題に取り組む現代人の参考にもなり、大きな価値のある「良い歴史」は生まれる。

しかし、芸術家が模写を試みても、なかなか自分の癖をなくせないのと同じように、歴史家も自分自身の思想や先入観を完全に消滅させることは出来ないだろう。通常なら、こうした歴史解釈の多様性は問題にならなく、逆に言えば、いろいろな考え方があった方が望ましい場合もある。

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アメリカの大学生の英語力 (21)

「私がアメリカで教えていた当時、アメリカの大学生たちはろくな英語を書けませんでした。宿題の添削をしていると、あまりにも英語がひどいので、数学そっちのけで英語のチェックをしていたくらいです。professorの「f」を2つダブらせるといった単純なスペルミスならまだいい方で、主語が三人称単数で現在形なのに「s」をつけなかったり、そもそも主語がなかったりと、とにかくめちゃくちゃでした」

「国家の品格」 第二章より

『ありえない。 まったくありえない……』。

藤原氏の言葉を読んだ時、私はそう思った。スペルミスだけに関しては、多少認められるが、それにしても、藤原氏の思っているほど重要な問題ではないだろう。

英語のスペルミスには三種類がある。

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