では、アメリカと中国の「恋愛関係」を頭に入れながら、真珠湾攻撃までの流れを見てみよう。大雑把ではあるが、次の15点にまとめてみた:
① 20世紀に入ると、軍隊・産業・経済の更なる近代化のため、日本は国内で入手できない大量のゴム、錫(すず)、ボーキサイト、鉄、石油などがどうしても必要だった。これらの資源の貿易は、国の大きな財政負担となっていた。
② 明治維新から日本の人口が倍増したこともあり、「帝国の膨張」こそが、有力な経済政策として取り上げられるようになった。
例えば、1907年という早い時期から、海軍参謀の一部が南方への進出を考え始めた。具体的には、中国の南部地方やマレーシア、フランス領インドシナ(現代のベトナム・カンボジア・ラオス)、オランダ領東インド(現代のインドネシア)の占領を本格的に考慮していた。しかし、これを実行した場合、アメリカが抵抗してくることも予想されていたので、フィリピンやグアムを攻撃することによって米軍艦隊の出港を誘き寄せ、基地から遠く離れた海上で待ち伏せをする戦闘計画も練られた。
あるいは、海軍ではなく、陸軍参謀はどう考えていたかというと、「北進し、満州や東シベリアを占領する」という作戦が有力だった。当然ながら、この場合には、中国やロシアの抵抗が予想されていた。