「……論理だけでは人間社会の問題の解決は図れない……。 これは欧米人にはなかなか理解できないようで す」
「国家の品格」 第三章より。

欧米人の考え方には、こんなに大きな盲点が本当にあるのだろうか? その質問に取り組む前に論理学そのものについて少し考えてみよう。

論理学の原点は古代ギリシアにある。紀元前4世紀にプラトンの弟子だったアリストテレスは幅広い学問を究め、「哲学の父」、「科学の父」、「政治学の父」などと呼ばれるようになった。もちろん、彼こそが「論理学の父」でもあったのだ。

それから、哲学には、「認識論」という分野がある。知識はいったい何なのか? どうやって知識を得るのか? こういう素朴な疑問が認識論の研究課題であり、アリストテレスは知識論にも大きな影響を与えている。

例えば、アリストテレスによると、人間の知識の起源は、五感の刺激作用である。つまり、世の中のさまざまな物や現象を見たり、聞いたり、触れたりすることによって、私達はそれぞれの対象物に対する直感を得られる。こうした五感の働きはアリストテレス独特の知識論の始まりだ。

そして、第二段階はその直感が概念化されることである。直感的な印象が記憶され、その記憶が「○○は△△である」、もしくは「○○は△△ではない」というふうに分類されることだ。

ところが、ある物は「○○である」、「○○ではない」と記憶することが第二段階の限界である。「現象Aと現象Bは影響しあっている」のような深い思考には至らないのだ。

今までの話をまとめると、炎に手を近づける時に感じる痛みは五感による直感であり、それは知識の第一段階である。そして、「炎は熱いんだ」、「炎は危険だ」というふうに直感が概念化され、記憶されると、それは第二段階である。まだまだ単純そのものの知識だ。

ところで、第二段階よりさらに一歩進めば、知識は推論の領域に入り、はじめて深いニュアンスを得られる。つまり、わかっている事実を前提にすれば、推論を使って新しい結論を導き出すことができる。

「火は熱いけど、熱く燃えるからこそ、家中を暖めることができるはずだ」。これは単純な例でも、思索の第三段階をよく表している。言うまでもなく、推論の領域では、「○○である」と「○○ではない」だけではもはや言葉が足りない。第三段階に達した知識を表現するには、「もしも……」、「……だったら……」、「だから……」、「……だとすれば……」、などの言葉が必要になってくる。