藤原氏によると、「美しい情緒」、あるいは「美しい情緒」が一つの形を成している「武士道精神」は、六つの理由で世界を救う事が出来る。一つずつ見てみよう。

① 美しい情緒は、普遍的な価値がある。

ある意味では、チョコレートにだって普遍的な価値はあるが、「普遍的な価値=世の中を救う力」ではないのが現実だ。つまり、美しい情緒を育てるだけではなく、人間の心に深く根を張っている「醜い情緒」の対応法をしっかりと考えなければならない。でなければ、患者の心臓病を無視して、美容整形しか勧めないような「やぶ医者」と同じだ。このように、藤原氏の思想は現実性に欠けていると私は思う。

② 美しい情緒は、文化と学問を高める。

それはそうかもしれない。

だが、「美しい情緒」を抱いている人でさえ、自分の主張を裏付けるためなら、歪んだカリカチュアを平気で利用したり、智子イズムに頼ったりすることがあることも見てきている。つまり、「美しい情緒」を身につけていても、時と場合によって、人は文化や学問に対してかなり否定的な態度を取ることがある。

③ 美しい情緒は、国際人を育てる。

18世紀のヨーロッパには、立派な国際精神が栄えたと評価する歴史家がいる。カント、ギボン、ゲーテ、フランクリン、ルソーなどの文化人は、それぞれの国を代表するような人物だったにもかかわらず、何より楽しんでいたのは「国際交流」だったそうだ。『相手の国の言葉を喋り、その国の歴史や芸術について詳しい知識を持ち、その国は自国と経済的に結ばれていることを意識した上での交流だった』と、なかなか立派な話である。

それに比べて、自然の感受性・もののあわれ・祖国愛にいくら富んでいても、相手を見下げ、相手の思想や文学をカリカチュア的に扱うような人物ならば、「真の国際人」と呼んでいいのだろうか? 一つの基準として考え、まず言えることは、そんな人は18世紀の紳士たちの仲間には入れなかっただろう。

④ 美しい情緒は、人間のスケールを大きくする。

これにたいして、②と③と同じ疑問を抱かずにいられない。特に、藤原氏は、美しい情緒が人の「総合判断力」を高める効果があると主張しているが、本当にそうだったら、あえて智子イズムとカリカチュアに頼る必要はないだろう。

⑤ 美しい情緒は、「人間中心主義」を抑制する。

「自然に対する感受性」は「環境を大事にする精神」に繋がっていることは確かだろう。しかし、自然美などにまったく鈍感な人でも、綺麗な水を飲み、綺麗な空気を吸いたいと思うはずだ。だったら、自然の感受性を高めることは、環境問題への意識を高める唯一の方法でもなければ、最も容易い方法でもないと私は思う。

⑥ 美しい情緒は、戦争をなくす手段である。

これは、「美しい情緒」の力を大げさに言っているだけではなく、戦争の本当の原因を、藤原氏がどれだけ勘違いしているかを示す主張だ。次回は詳しく考えてみよう。