藤原氏と違って、自分には「世の中を救える」ような知識があると、私は思っていない。確かに、焦点を絞れば、何かと意見の多い男かもしれない。だが、ここではそんな意見を述べずに、藤原氏の主張にだけ答えたい。したがって、最後の反論を一つだけ述べよう。

そもそも「世の中を救う」という考え方は間違えていると私は思う。

一人の人間を救うことは可能だ。溺れかけている人に浮き輪を投げれば、その場に及ぶ危険から「救われ」、その人は安全という状態に戻る。

しかし、個人レベルではなく、全人類の問題になると、話はそこまで単純ではない。つまり、どの世代と一緒に生まれてくる、本質的な「悪」との戦いは、繰り返し繰り返し行われ、安全という状態は永遠に訪れないのだ。

そう思うと、必要なのは「美しい情緒」などよりも、単なる警戒心だ。

国の政策から個人の志まで、どんな人間行為に対しても警戒心が必要だ。高慢と欲望に支配されないように、偏見と敵意に目が眩まないように、人は常に警戒心をもって、現実を見つめなければならない。したがって、智子イズムとカリカチュアのように、正確な判断を妨げるものがあれば、それを特に厳しく戒めるべきである。

警戒していれば、時と場合によって、成功もするが、失敗もするだろう。戦争を防げたり、防げなかったり、綺麗な環境と裕福な経済状態を次の世代に受け継がせたり、受け継がせられなかったりもする。

地味な努力で不完全な結果ではあるが、現実的な希望はそのぐらいしか無く、他はすべて幻惑だ。