GONOSEN-II

文学、歴史、時事問題。 とりあえず、私はこう思う。

Category: 「国家の品格」について (Page 2 of 5)

「暗黒時代」という言葉 (11)

藤原氏が指摘している5世紀から15世紀までの期間をまとめて中世と考えることにしよう。千年間もの大陸の歴史を一つの時代として取り上げることなんて、いきなりニュアンスに欠けており、最初からカリカチュアっぽいが、その辺はここでは仕方なく認め、大切なところにだけ焦点を当てよう。

先ず言えることはこれがローマ帝国崩壊後の時代だ。中世の「中」というのはローマ崩壊からルネサンス期の始まりの間を暗示して、二つのいわゆる黄金時代の間を指しているわけだ。

俗ではこの千年間を「暗黒時代」と言うことは未だにある。つまり、古代ローマやギリシアの学問と社会的秩序が乱れてしまったため、人々の心は迷信に支配され、ヨーロッパの諸国は完全に退化してしまった。大陸全土が無知・暴力・疫病に患われ、ルネサンス期の光がさしてくるまでは、どの民族もまるで闇の中をさまよっていたような状態だった。

Read More

意外と明るかった「暗黒時代」 (12)

では、「野蛮だったヨーロッパ」の「さほど野蛮ではない」事実を、他にも少し挙げてみよう。

• 「三圃式農業」が開発された。穀物用、豆類用、休耕地に畑を区分し、そのローテーションを毎年組むことにより地力低下を防ぎ、収穫量を上げることができた。

• 水車を利用する製粉場が徐々にヨーロッパ全土に広まった。1086年のイギリスには5624ヵ所も記録されている。

• 頸木(くびき)などが改良され、以前のように首に直接プレッシャがかからなくなったので、馬や牛に鋤(すき)を引かせる際には、何倍も効率よく土を掘り起こすことが出来るようになった。

• 蹄鉄(ていてつ)も一般に使われるようになり、家畜の労働率が更に上昇した。ちなみに、蹄鉄用の釘を一定の大きさに定める必要があったので、金属加工の技術はいかに進歩していたことがうかがえる。

Read More

「国家の品格」について。 現代 vs 中世  (13)

こうして、案外明るかった「暗黒時代」の話をいくらでも挙げられるが、中世の暗い面も認めなければならない。貴族や庶民、すべての人を巻き込んだ戦争や、急激に広まった疫病もまた中世の大きな特徴だった。

しかし、イタリアのボローニャで起こった興味深い話を一つ挙げよう。

大人の男性一人と猫一匹を戦わせる試合が企画され、そのために大きな檻も用意されたそうだ。この檻の中で戦うため、猫は逃げられなく、男は簡単に勝つのではないかと思われるが、猫を 噛み殺す ことが決まりだった。しかも、手を一切使わずに戦わなければならなく、男の目が猫にやられれば失格となる決まりになっていた。

Read More

西洋の文学 (14)

『よほどの文学好きでない限り、5世紀から15世紀までのヨーロッパの生んだ文学作品を3つ挙げられる人は少ないのではないでしょうか?
英文学も今では威張っていますが、有史以来1500年までの間にどんな作品が生まれたか。『カンタベリー物語』ぐらいしか浮かばないでしょう。』

「国家の品格」第一章より。

「いやー、それを言うんだったら、『カンタベリー物語』ではなく、『ベオウルフ』だろう」と、これを読んだ時に私は思った。

だが、古い英文学の代表作が『カンタベリー物語』だろうと、『ベオウルフ』だろうと、藤原氏のこの考え方もまた納得できない。純粋な無知からの発言なのか、相手を悪く見せることによって日本の古典文学をより美しく見せるために利用したカリカチュアなのか、私には氏の意図がわからない。だが、氏の言葉を通してすぐに連想させられた子どもの頃の思い出がある。

Read More

ラテン語文学 (15)

中世の多くの書物は英語やフランス語ではなく、ラテン語で書かれている。これこそは、(日本や中国の古典に比べて)ヨーロッパの古典が少なく思われる理由の一つである。当時の国際語はラテン語だったので、自国以外の人に自分の作品を読んでもらいたければ、ラテン語で書くしかなかったのだ。現代では日本人の科学者が英語で論文を出すのとまったく同じ理由だ。

「中世のヨーロッパ人は文学的な価値のある作品を書き上げなかった」と主張するのであれば、大量のラテン語文学を無視していることになる。その中で、量と質の良さで特に目立つのは神学・哲学関係のものであり、「然りと否」などを書いたアベラールも忘れてはならない。しかし、何と言っても、ラテン語による「哲学系文学」の最高峰に立つのは、ドミニコ会員の博士、トマス・アクィナスだ。少しだけ、彼の人生と作品について述べよう。

Read More

自国語による文学登場 1 (16)

「さて、我々は聞いている。古のデネ王家の栄光を、荒々しい勇士らの手柄を」。

英雄『ベオウルフ』の物語はこうして始まる。だが、一つの物語どころか、この言葉は、新しい文学時代を切り開く勇ましい喊声としても解釈することが出来よう。

とりあえず、物語のあらすじを見てみよう。

太古の昔、デネ王フロースガールは、新しい城を建設した後に、祝いの宴を催す。しかし、近くの洞窟に住む怪物、「呪われしグレンデル」は、楽しそうな祝宴の歓声と王の栄光に嫉妬して、連夜城の哨兵を襲うようになる。王に仕える剣士は何度もグレンデルに立ち向かうが、グレンデルは魔法で守られているため、勇士らはことごとく殺され、グレンデルに食べられてしまう。

Read More

自国語による文学登場 2 (17)

3182行にも及ぶ叙事詩「ベオウルフ」が書かれたのは、紀元700年頃とされている。作者が用いた言語は、5世紀半ばからおよそ12世紀まで、イングランドで使われていたアングロ・サクソン語だ。「古英語」とも呼ばれるこの言語は、現代の英語の中核として残っており、英語で最も頻繁に使われる100語の中でも、96語は古英語に由来している。I, you, heなどの代名詞、the, an, aという冠詞、 is, are, wasなどのbe動詞、一般動詞の get, come, write, goなど、前置詞の on, in, into, withなど、その他にも数多くの疑問詞、接続詞、助動詞……、英語の基本となる単語はそのまま古英語の時代から使われている。

「ベオウルフ」の他にも、石に彫られ、パーチメント(羊皮紙)に書かれ、現在残っている古英語の文書は沢山ある。韻文や詩歌だけではなく、聖書の翻訳文、聖人の伝記、神父の説教、歴史書、医学書、遺言書、公の記録(土地の売買や法律に関するものなど)、お守り、まじない……。その種類もまた豊富だ。

Read More

「平等」と「自由」  (18)

「近代的な平等の概念は、恐らく王や貴族など支配者に対抗するための概念として、でっち上げられたのではないかと考えます。だからこそ、平等を真っ先に謳ったアメリカ独立宣言では正当化のために神が必要だったのです」

「国家の品格」第三章より。

ここでは、藤原氏は独立宣言の「前文」を言っているのだろう。

『我らは次の事実を諸々自明なものと解する。すべての人間は平等に創造され、作り主によって、本質的尚且つ侵すべからざる権利を与えられている。その中には、生存、自由、幸福の追求などの権利も挙げられ、これらの権利を守るためにこそ、被統治者の同意によって正当な権力を得る政府は用いられる』

アメリカ人なら誰でも小学校で暗記させられる、トーマス・ジェファーソンの名文だ。

Read More

トーマス・ジェファーソンと奴隷問題 (19)

ジェファーソン自身には大勢の奴隷がいたことは否定できない。こんな人物が人間の平等を唱えても、単なる偽善ではないか? やはり、アメリカという国家、アメリカという社会は、大きな嘘の上に建てられたのだろうか?

藤原氏はそう思っているようだが、ジェファーソン自身のことや独立宣言布告後のアメリカの歴史を冷静に考えた方がいいだろう。

先ず、ジェファーソンは奴隷制度廃止論を一生懸命唱えた人物でもあったことを忘れてはならない。当時、奴隷は完全な私有物として考えられていたので、いろんな意味で財産問題が絡んでいた。例えば、奴隷はローンの担保として扱われることもあったため、借金のある人は、自分の奴隷を解放したくても、借金がある限り、解放することは法律的に不可能だった。実は、ジェファーソンも正にそんな状況にあり、「奴隷を解放すべきだ」と確信を持っても、実際にはそれが出来ないため、彼は大いに悩んでいたらしい。

Read More

真の「平等」 (20)

藤原氏が言うには、「平等」は論争を煽り立てる自己中心的な考え方であり、自分の利己心を正当化する口実に過ぎない。

しかし、私のクレジットカードが盗まれ、私に成りすまして誰かが買い物をしたとしても、私自身の存在がなくなるわけではない。同じように、利己心が「平等」と名乗り、「平等」という言葉が悪用されることがあっても、純粋な「平等」という概念には何の変わりはない。

アメリカの奴隷制度の歴史を振り返ると、真の「平等」概念は、いかに人間社会を改良してきたかはわかる。

例えば、こういう話がある。

Read More

Page 2 of 5

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén